好きに書くわよ

好きなものぜんぶ乗せ

使命?天命?

 

「なんの制約も条件も縛りもなく なんでも、それこそなんでもしたいことが出来るとしたら  なにがしたい?」

 

この自問自答が大いなる掘り下げになることには気づいてるんだけど、わたしは″ほんとうになんでもいい″なら

天使、または妖精、または鳳凰になって世界中を飛び回りたい

世界の美しい景色や街並み、楽しそうに暮らしているひとびとを見ながら「なんて美しい星なんだ」って感激で涙を流しながら飛び回りたい

 

そして光となって消えたい。

 

それがわたしの、長年の、いちばんの願い。

 

ではなぜいま、肉体を持ってここにいるのか?

もしも「肉体がないと経験し得ないなにかを味わうために生まれてきている」ならば、

それはいったいなにか?

 

この答えがまだわからない

 

非二元の観点からすれば「わたしはいない」から、答えなんてないよって話になるかもしれないんだけど

 

魂もわたし(自我・肉体)も喜びに震え上がるほどの″なにか″(使命?天命?)が知りたい

 

空を飛んでこの美しい星を見ながら感動するに匹敵するものを。

 

 

メンターでさえも罠になる

 

スピリチュアル的な意味での浄化、解放、統合って

まずはやっぱりその道のスペシャリストの本やブログ、セミナーをお手本にして進めるじゃない

 

けれどそのひとがすごければすごいほど

「このひとが言ってたから」「このひとがやってたから」って

逆に自分を縛るものになっちゃう時がままあるのよね

 

そこに確実に違和感を覚えているのに、ほぼ盲目的に(無意識的に避けるように)なってしまうのは

 

 

 

自分の感覚を信頼していないから。

 

 

 

これに尽きるわよね

 

わたしのことだわね。()

 

だからスペシャリストであればあるほど

「わたしの言うことを鵜呑みにしないでね」と仰るのよね

 

信者を作りたいわけじゃない、儲けたいからじゃない

扇動したいわけじゃない、崇め奉られて承認欲求を満たそうとしているわけじゃない

だからこそそう言えるひとたちがわたしは好きだし

だからこそそういう「罠」に陥ることもあるんだなあということを意識して

 

ほんとうに大切なもの、

じぶんの感覚、センサーを こころのド真ん中に据えて

生きていけたらいいわよね

 

 

 

今回なんかやたらオネエみたいな語尾やん 何事

 

 

ねえええええええええええええええ


「初記事これかい」って思ったけど文体ジャンルこだわらず好きに書くからいいの


ねえプロフ画像が何度上げ直しても自動的に90°傾いちゃうんだあ 泣ける😂


そんで「なら元の画像を90度回転させて上げればいいのでは💡」って思うじゃん

でもそれはそのまま適用されるの ウケる


だがこのままで行く(よいでしょう......✧✧)